一年に一度はお伊勢参りへ。伊勢 神話への旅 美し国、まいろう。伊勢志摩キャンペーン

伊勢志摩サミット開催記念 詳しくはこちら(PDF)
 平成二十八年五月、「伊勢志摩サミット」が開催されました。伊勢神宮は悠久の歴史を紡ぎ、日本の精神性に触れるには良い場所であること。伊勢神宮の存在がサミット開催地選定の理由に含まれています。五月二十六日にはG7の首脳が伊勢神宮を訪問。「伊勢志摩サミット」は、ここ伊勢神宮から始まりました。/一年に一度は参宮を… 伊勢神宮は正式には「神宮」と言い、皇大神宮[こうたいじんぐう](内宮)・豊受大神宮[とようけだいじんぐう](外宮)の両正宮を中心とする百二十五社の宮社からなります。天照大神のご鎮座以来、日本の聖地として崇められてきた伊勢神宮。江戸時代には「せめて一生に一度は」と人々の憧れを集めました。神宮を訪れた時、「こみあげてくるものがある」。そうおっしゃる人がたくさんいます。それは参道の千古の杉が発する気でしょうか。それとも自然や神様に対する感謝からくるものなのでしょうか。ご先祖様のご先祖様、そのまたご先祖様が歩いた道で、大きな安らぎに包まれてのことかも知れません。 今日の無事と感謝の気持ちを伝えに、一年三百六十五日のうち一日は参宮の旅へ。神宮では平成二十五年秋に二十年に一度の「第六十二回神宮式年遷宮」が行われました。瑞々しい神様の力の永続を祈る式年遷宮。私たちに新しい気持ちで明日に向かっていこうと教えてくれています。一.およそ二千年もの間、国民[おおみたから*]の平安を祈り続けているところ *「おおみたから」は大和言葉であり、「大御宝」の意… 私たちの国、日本には古事記や日本書紀が伝える神話のふるさとがいくつもあります。しかし、現代にあってなお、神話が息づいているのはここ伊勢神宮だけではないでしょうか。 日本神話が伝える「天孫降臨[てんそんこうりん]」。高天原[たかまのはら]の最高神・天照大神[あまてらすおおみかみ]から「三種の神器」と稲穂を授かった孫の瓊瓊杵尊[ににぎのみこと]が地上に降臨します。それに先立ち、大神は「この鏡を私として祀りなさい」、「この稲を育て、瑞穂の国が栄えるように治めなさい」と言われました。こうして「瑞穂の国」日本は誕生しました。日本書紀では天照大神が伊勢の地を「傍国可怜国[かたくにのうましくに]」とお告げになり、五十鈴川のほとりにご鎮座になったと伝えます。伊勢神宮(内宮[ないくう])の創始です。今から約二千年前のこと、そしてその五百年後に食事や産業を司る豊受大御神[とようけのおおみかみ]が、外宮[げくう]にご鎮座されました。 以来今日に至るまで、伊勢神宮では神様にお食事を捧げ、「瑞穂の国 日本」の五穀豊穣と平和と繁栄、私たちの平安の祈りを捧げる祭儀が行われています。私たちと私たちの国のはじまりにはこんな神話があり、伊勢神宮では神話が伝えるとおりの営みが現在も続けられています。それはきっと未来へも。伊勢神宮は「日本人の心の源郷」です。/年間1500以上の祭儀が行われる伊勢神宮。最も重要な祭儀である神嘗祭(かんなめさい・10月15日~17日)では、その年に収穫された新穀を神様に奉る。御正宮を囲む内玉垣(うちたまがき)には「懸税(かけちから)」と呼ばれる稲の束を懸けて豊穣に感謝する
二.神話の光へ 生命の源となる太陽… 伊勢神話を語るのに欠かせない、光、森、宮、そして心……。両正宮へと続く参道には、樹齢数百年という巨木が立ち並びます。その木々の間から降り注いでくる光は、私たちの心を清らかな気持ちへと導いてくれます。 また、朝五時からお参りすることができる早朝参拝では、澄み切った空気の中、一日のはじまりを昇りゆく太陽とともに迎えることができるでしょう。 そして一年で一番日が短い冬至の日。内宮へと続く宇治橋の大鳥居のちょうど真ん中から朝日が昇ります。大勢の人が集まり、このありがたく神々しい光に手を合わせます。 神宮で光を感じるとき、天照大神が、天地をあまねく照らす日の神様であることを改めて思います。神話では、天照大神が天岩戸に篭ると、すべてが闇に包まれ、食べ物は育たず、人々は秩序を失ったと伝えます。お天道様、お日様……。太陽の光はあらゆる生命の源。天照大神はすべての生きとし生けるものの生命を育む神様なのです。/外宮 北御門口鳥居に光が注ぐ。光には森がよく映える。森は太陽の恵みで養分を得て、生長する/外宮 多賀宮(たかのみや)に向かう神職の白い装束に差し込む力強い光。光と影が一体となった美しいモノクロームの世界が描き出される
三.神話の森へ 生命の循環。偉大なる恵み… 神宮の敷地は伊勢市の四分の一を占めるほど広大で、大半が緑豊かな森に覆われています。神宮には第二宮域林と呼ばれる森が広がり、式年遷宮に使用する檜が育てられています。 その計画は大正十二年に作成された森林経営計画に基づくもので、実に二百年の時をかけて、神宮の森づくりは進められています。第六十二回神宮式年遷宮ではこのうちの約23%のご用材がこの森でまかなわれました。 神宮の神域に足を一歩踏み入れると、その息を飲むほどの圧倒的な森の姿に心動かされることでしょう。神宮の森は瑞々しい生命力と神聖さを私たちに語りかけます。 国土の三分の二が森林である日本。そこでは水や空気が循環され、様々な生命が育まれています。森から流れる川が田畑を潤し、海に流れ出て海洋生物に届く。森は水づくりの使命を帯びています。私たちはその偉大な恵みに感謝し、敬い、神の存在を感じてきました。神宮の森はそんな日本の原風景を思い起こさせてくれる存在とも言えます。/木曽の御杣山で行われた第六十二回神宮式年遷宮の「御杣始祭(みそまはじめさい)」。木曽では「木を伐る」という表現は一切しない。木を「寝かす」という。木曽の杣夫(そまふ)の伝統/内宮の神域を清流・五十鈴川が流れる。神宮には深く、豊かな森があるからこそ、美しい流水が生まれる。神宮の風景の根幹には森が深く息づいている
四.神話の宮へ 世界に類を見ない永遠の形… 神宮の社殿は「唯一神明造[ゆいいつしんめいづくり]」と呼ばれる建築様式で、古代の穀倉が原型とされています。この社殿が、式年遷宮によって建て替えを続け、今日に受け継がれてきたのです。平成二十五年十月に行われた遷御[せんぎょ]の儀。浄闇の中、神様が新しい社殿にお遷りになりました。 式年遷宮では社殿だけでなく、神様に奉る七百十四種、千五百七十六点の御装束神宝[おんしょうぞくしんぽう]も新調されます。御装束とは神様の衣服や服飾品、神宝とは太刀や鏡などの調度品のこと。これらは当代最高の技術を持つ職人たちによって手がけられ、その技術もまた次の二十年に引き継がれていきます。式年遷宮は世界に類を見ない、繰り返しのシステム。そこには繰り返し再生することで永遠の瑞々しさを保ちながら未来へ、常に若い生命の輝きを求める「常若[とこわか]」と呼ばれる神道の思想があります。 平成二十六年十月三日、内宮に架かる宇治橋の大鳥居が新しく建て替えられました。この鳥居には内宮と外宮の御正殿の棟持柱[むなもちばしら]が用いられています。/内宮御正殿の屋根。屋根は萱葺(かやぶき)、棟に鰹木(かつおぎ)が並びその両端には破風(はふ)板の先端が屋根を貫いて千木(ちぎ)となっている/外宮・勾玉池(まがたまいけ)の畔に「式年遷宮記念 せんぐう館」がある。精緻な資料で式年遷宮を紹介するミュージアム。外宮の正殿を原寸大で建てた模型が圧巻である
五.神話の心へ 変わることのない祈り… 式年遷宮は飛鳥時代に天武[てんむ]天皇が定め、次の持統[じとう]天皇即位四(六九〇)年に第一回目が斎行されました。神様のお宮を真新しくすることによって、稲が毎年豊かな実りをもたらしてくれるように、人々の暮らしが潤い、日本が益々繁栄するようにと願う心が込められています。以来千三百年にわたってその心は受け継がれてきました。驚くのは千三百年も前に、同じ姿で生まれ変わり続ける式年遷宮というシステムを考え、取り入れたこと。そして現在に至るまでそれが続いてきたことです。 式年遷宮の諸祭は遷御の八年前から始まり、神職や大勢の人の手によって進められます。この地方に住む人たちは昔から「神領民[しんりょうみん]」と呼ばれ、神宮とともに生きてきました。神嘗奉祝祭[かんなめほうしゅくさい]における 初穂曳[はつほびき]、遷宮祭での御木曳[おきひき]行事、御白石持行事など、人々は神領民であることの誇りと感謝の気持ちを持って奉仕するのです。神宮を守り続けてきた人たちの心に触れることで、神話がさらに身近なものになるのではないでしょうか。/伊佐奈弥宮(いざなみのみや)(内宮別宮)で行われた奉幣(ほうへい)の儀(平成26年10月)。遷御に際して天皇陛下より幣帛(へいはく)が奉られる。幣帛とは神道の祭祀において神様に奉献するもののうち、神饌以外のものの総称で、「幣」は布の意味/実りの秋、神宮神田で収穫された「抜穂(ぬいぼ)」は神嘗祭に奉られる。またこの神嘗祭を奉祝して全国から集まった新穀は、神領民の手による初穂曳で奉納される
 ところで、みなさんは今日もおいしくご飯をいただきましたか。ご飯は元気の源です。みなさんが当たり前のように毎日食べているお米には伊勢神宮や神嘗祭、式年遷宮、瑞穂の国の起源にまつわる物語があるのです。 稲は命の根だから「イネ」。親から子へ、子から孫へ、つながれてきた命は未来へと受け継がれていきます。神宮へお参りになったとき、稲作を通して果てなく巡りゆく命の循環にも思いを馳せていただきたいと思います。自然の恵みに感謝し、神様に感謝を伝える。ご飯のときに何気なく手を合わせて口にする「いただきます」「ごちそうさま」に今生きている喜びを、幸せをきっと感じることができるでしょう。/神嘗祭 神宮で行われるお祭りの中で「三節祭」と言われる大きなものが、神様に新穀を奉る神嘗祭と、日本の平安と繁栄を祈願する「月次祭(つきなみさい)」。月次祭は六月と十二月に斎行される。これに祈年祭と新嘗祭を加えて「五大祭」と言う。神嘗祭では浄闇の中、祈りを捧げる。十月十六日(外宮)と、十七日(内宮)には天皇陛下の勅使が参向して、幣帛(へいはく)という五色の布や織物などを奉納する奉幣の儀が行われ、陛下は皇居において神宮を御遥拝される六.春、豊作を祈り、秋、実りに感謝する 変わらない一年が私たちに教えてくれること… 私たちの毎日と、切り離すことのできない食べ物はなんでしょうか。それはお米。日本が「瑞穂の国」と言われる由縁です。 伊勢神宮では一年間に千五百以上の祭儀が繰り返されています。それらは稲作を中心としたお祭りです。稲作を基盤とする瑞穂の国の幸せはお米がよく実ること。今も宮中の御田で、天皇陛下が国民の平安を願って稲を育てられているように、神宮では二月に豊作を祈る「祈年祭[きねんさい]」が行われ、春には神田に種をまく「神田下種祭[しんでんげしゅさい]」、「御田植初[おたうえはじめ]」があり、五月と八月の「風日祈祭[かざひのみさい]」では雨風の順調と五穀豊穣を祈ります。そして秋、九月初旬に行われる「抜穂祭[ぬいぼさい]」は豊かに実った稲穂を刈り取る儀式です。 一年で最も重要なお祭り、「神嘗祭[かんなめさい](十月十五日~十七日)」では御正宮の内玉垣に豊かな実りに感謝して、全国から奉納された「懸税[かけちから](稲の束)」が懸けられます。シデがつけられている稲束は天皇陛下が御自ら育てられたものです。 神嘗祭では祭器具なども全て新しくされます。例えるなら神嘗祭は「神宮のお正月」。その年の新穀を神様に奉り、真新しい祭器具を調えることで、ご神威が健やかに高まることを願います。これを二十年周期の大スケールで行うのが式年遷宮で、「大神嘗祭」とも言われます。/抜穂祭(神宮神田) 天照大神によってもたらされた「命の根」・稲が黄金色に輝く。抜穂祭では稲を鎌で刈った後、古式そのままに一本一本、丁寧に抜き取る。神様への感謝とともに。神と人が心を通わせる瞬間だ。稲は神嘗祭の御料米となる
七.神の食 神饌。それは和食の原点。… 神宮では一年に千五百以上のお祭りが行われています。中でも、食の神様・豊受大御神を祀る外宮では、千五百年もの間、続けられてきたお祭りがあります。毎日の朝夕、神々に神饌[しんせん](お食事)を奉る「日別朝夕大御饌祭[ひごとあさゆうおおみけさい]」です。雨の日も嵐の日も戦乱の世にあっても、また戦後の食糧難の時代も一度も絶えることなく粛々と行われてきたことに、特別な尊さを覚えます。 神様に供えられるのは御飯・魚・海草・野菜・果物・塩・水・酒。栄養バランスがとれた品目で、健康面にも理想的と言えます。重要な祭事のときには干鯛、熨斗鰒などが加わり三十品目に。私たちは一日に三十品目の食品を摂るのが理想とされます。まさに神様のお食事は理にかなっているのです。 平成二十五年十二月、「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録されました。和食の食文化が自然を尊重する日本人の心を表現したもので、伝統的な社会慣習として世代を越えて受け継がれているとの評価を得ての登録となりました。神饌はまさに和食の原点で、千五百年前から世界に誇るべき食事であったことがよくわかります。/日別朝夕大御饌祭 神饌は内宮(皇大神宮)・同相殿神・同別宮と外宮(豊受大神宮)・同相殿神・同別宮の六座に捧げられる。準備は身を清めた神職が忌火屋殿(いみびやでん)で、古代のままに火鑽具(ひきりぐ)で忌火を鑽り出すことからはじまる
八.守り続けられる自給自足の精神… 神宮の神様にお供えする神饌は、全て自給自足を原則としています。塩づくりは伊勢市二見町の清き渚の塩田で、鹹水[かんすい]を採る入浜[いりはま]方式で行われています。かつて各地の海辺で見られた昔ながらの方法です。野菜や果物は同じ伊勢市二見町の神宮御園[みその]で栽培されています。七十種以上に及ぶ作物からは日々、旬のものが必要なだけ収穫されます。 自給自足は食物だけではありません。神様にお供えする絹や麻、お箸や神饌を盛る土器も自給しています。将来を見すえた遷宮用材の植樹を行っていることは、先にご紹介しました。 自給自足を定めたのは内宮の創始に深い関わりを持つ倭姫命[やまとひめのみこと]と言われています。そこには神宮の祭儀が永遠に続いていくための知恵が生きています。捕りすぎず、無駄にせず、自給自足を実践すること。物が豊かで、何でも便利になった現代ですが、一昔前まではおばあちゃんから「物を大切に」「食べ物は粗末にしない」と諭されたことはありませんでしたか。それは神様からの教えでもあります。 伊勢の地は「うまし国」。降った雨は山に蓄えられ、川となってミネラルたっぷりの養分豊かな水が田畑を潤します。川が注ぐ海は伊勢えびやあわび、鯛に代表される海の幸を育むのです。そして太陽の光を受けて蒸発した水はまた雨となって山に降り注ぎます。自然を畏敬[いけい]し、自然の循環に感謝して生きることが大切ではないでしょうか。/神饌の中でも鰒(あわび)は特別の存在だ。鰒は鳥羽市国崎(くざき)が御贄地に定められている。約2000年前、倭姫命がご巡行の折に地元の海女が差し出した鰒に感動し、神饌にするよう命じたと伝わる。奉納される鰒は生鰒、乾(ほし)鰒、熨斗(のし)鰒がある/神宮御園では日別朝夕大御饌祭を始め、神宮の諸祭事にお供えする野菜・果物が育てられている。総面積は約2ha、大部分の作業は手作業で行われる/塩田で採られた鹹水は御塩殿(みしおどの)神社(内宮所管社)の御塩焼所で、鉄の釜で煮詰めて荒塩に。荒塩は三角錐の土器に詰めてさらに竈で焼き固める
  • 朝熊岳金剛證寺[あさまだけこんごうしょうじ](伊勢市)…伊勢の町を見下ろす朝熊山(555m)の山頂付近にあり、伊勢神宮の鬼門を守る寺として知られる。江戸時代に流行した伊勢音頭には「朝熊かけねば片参り」と唄われ、当時の人々は参宮の後、この寺を詣でることが常だった。
  • 二見浦(伊勢市)…夫婦岩で知られる二見浦は禊の地として知られる。ここで禊をして、外宮、内宮へとお参りするのが古くからの習わしだった。毎年夏至の日は夫婦岩の中央から昇る朝日が海を染める。気象条件が良ければ朝日と富士山を見ることもできる。
  • 剣[つるぎ]峠(伊勢市~南伊勢町)…伊勢神宮(内宮)から南伊勢町五ヶ所浦を結ぶ県道沿いにある。山々の間から朝日が昇る。宮域林を照らす光が神々しい。この道は聖域を走ることができる道として、サイクリングの人に人気が高い。
  • 神島[かみしま](鳥羽市)…鳥羽湾に浮ぶ離島にその名も「神島」がある。島の東南部には、石灰岩が風化してできたカルスト地形が見られ、海と空の青さとのコントラストが美しい。神島は三島由紀夫の名作『潮騒』の舞台にもなった。
  • 青峯山正福寺[あおのみねさんしょうふくじ](鳥羽市)…海上守護の霊山として漁業関係者の信仰が厚い。海女が漁業始めの口開(くちあ)けと漁業終了時の磯上がりにお参りする地区がある。旧暦1月18日に行われる「御船(おふな) 祭」は海に携わる多くの人が訪れる。伊勢志摩サミット前日の5月25日、カナダのトルドー首相夫妻がプライベートで訪れ、一躍有名になった。
  • 海女…鳥羽・志摩地域では日本で一番たくさんの海女が暮らしている。伊勢志摩は海女のふるさと。海辺を訪ねると元気で明るい海女たちと出会うことができる。「鳥羽・志摩の海女による伝統的素潜り漁技術」は三重県の無形民俗文化財に指定され、「海女」をユネスコ無形文化遺産に登録しようとする活動も行われている。/写真:海女振興協議会提供
  • 伊雑宮[いざわのみや](志摩市)…伊勢神宮には14の「別宮」があり、「わけみや」とも呼ばれる。内宮別宮の伊雑宮は天照大神の御魂をお祀りする。古来、海の守り神として、漁師や海女の厚い信仰を集めてきた。参道には樹齢約1,000年の大楠がある。
  • ともやま公園(志摩市)…複雑に入り組んだリアス海岸は、大小の小島や半島が美しい海岸線を造り出している。ともやま公園から見る夕日が英虞湾を包む。英虞湾の向こう、熊野灘は「御食(みけ)つ国」の豊穣の海の幸を育む。
  • 鵜倉[うぐら]園地(南伊勢町)…南伊勢町は熊野灘に面し、大部分が紀伊山地に属している。随一の景観を誇るのが鵜倉園地で、見江島展望台からはハート型の入り江が望める。「恋人の聖地」に選定され、訪れるカップルたちが後を絶たない。
  • 女滝[めだき](度会町)…獅子ヶ岳の登山道にある滝。飛沫が岩肌や草木に映えて美しい。伊勢神宮の創始に深い関わりがあった倭姫命ゆかりの言い伝えや、藤原有助という武人が毎日祈りを捧げたという伝説が残る。
平成28年伊勢志摩国立公園指定70周年 伊勢志摩サミット開催 九.伊勢志摩を旅する… 昭和21年、戦後初の国立公園指定を受けた伊勢志摩国立公園は、海の国立公園。平成28年に指定70周年を迎えます。そしてその節目の年の5月、大小の島々、美しい入り江、日本の原風景ともいえる自然が残る伊勢志摩で「伊勢志摩サミット」が開催されました。
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